極楽寺の歴史(由緒)

本堂

瀬戸から見た山頂の極楽寺

薬医山門

聖観世音菩薩を祀る観音堂
極楽寺は、浄土宗で正式には白雲山(山号)来迎院(院号)極楽寺(寺号)と申します。
宗旨は鎌倉時代に法然上人によって開宗された浄土宗で、総本山は京都知恩院です。 極楽寺は今から440年前の織田信長公の時代、天正五年、西暦1577年に法蓮社圓譽文宗上人によって創建されました。もとは瀬戸町長和の筒井にありましたが、寛永十二年、水野勝成公の瀬戸池造築のためここ山北へ移転しました。
本堂には恵心僧都作(伝)の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の弥陀三尊、左右に善導大師、法然上人がお祀りされています。
以来三百余年、はからずも明治十年火災にて本堂庫裡共に焼失し、ただちに再建されましたが、積年の老朽災禍はいかんともし難く、改めて昭和平成の再建大修理が発願されました。
その後第十九世住誉全宏上人の昭和五十五年、書院、玄関及び観音堂、平成二年には薬医山門が再建されました。
また、第二十世戒誉泰彦上人の平成十九年には、念願の本堂再建が成就し、本堂内の荘厳も一新されました。さらには、書院庫裏の大修理がなされ、境内には松と紅葉の庭園も作られました。
かくして、極楽寺は来迎院の名のごとく、堂内では宮殿の弥陀三尊と二十五菩薩が四方に光を放ち、美しき迦陵頻迦(天女)も空に舞って、極楽浄土の荘厳もかくありなんと想われるほどです。また、白雲山の名のごとく、堂宇の甍は天空にそびえ、はるかなる東南北三方には白雲たなびいて、まさに天空の浄土とも呼ぶべき景観を成しています。